新着情報|用賀の歯医者で歯周病、噛み合わせ、
インプラント治療なら「髙橋歯科醫院」

03-3700-5811
お問い合わせ

2022/07/07[院長コラム]7月 参院選挙を控え愁いと憤り

こんにちは

早々と梅雨が明けセミも追いつかないほどの速さで夏を迎えていますがいかがお過ごしでしょうか。

今週末には参院選挙があります。皆さんまずは投票に行きましょうね。今回の選挙でも何も変わらないでしょうし、さらに(私の考えるところの)悪い方向へ国政が向かう起点になる公算が大きい様です。

それでも大切なことは以前にも書いた様に、「あきらめずとことん葛藤し抗う」ことがシステムとしての民主主義を守り遂行していく唯一の様であると思うのです。ならば、投票しないことは自ら自由や人権、民主主義を捨てる行為そのものではないでしょうか。  今だに日本人は平素から安心・安全を空気のように当たり前(最近ではそうでもない世の中になっているが)と思っている節があります。安心・安全と同様に自由や人権そして民主主義は強く意識し行動なければ瞬く間の陽炎のように失ってしまうものなのです。それがまさしく今のロシアであり中国の香港であります。徐々に戦争や厄災にかこつけて環境を整えメディア・選挙を無力化し為政者にとって都合の良いように改憲をし、自らを正当化し国民をプロパガンダする。

西側諸国としてロシアや中国と対峙している風のこの日本においても同じようなプロセスが今進んでいると感じています。なんとしても抗う必要があります。と、言うとそのロシアから侵略されたウクライナを例にとり我が国も強く意識行動しなければ安心・安全を保証(安全保障)できないとの論調から軍増強や敵地攻撃能力の保持、さらには核の保持や共有論までを言い出す自称保守の人たちが居ます。 が、正しく今のロシアとウクライナの状況、プーチンの恫喝が核抑止力論の無力を証明していることに気づかないのでしょうか?

藻谷浩介氏はこう言って居ます。世界の安全性を少しでも取り戻すには、結局、「攻撃されれば死を賭して反撃するが、先制攻撃はしない」という姿勢の国を一つでも増やすしかない。 と。

 

 

ここで、ウクライナの情勢を放送するメディアを見て居てかねてより感じていることがあります。ウクライナの戦況を現地から報告するカーキー色の服を着た州知事をよく見ますが、いざ日本が戦場になった時最前線に留まって今の都道府県知事が戦況報告を必死に(死を賭して)行うでしょうか? また、ウクライナの現地で多くの市民が自由や自国の領土を守るためと一兵卒に志願している状況が伝えられて居ます。(無論これはウクライナや西側のプロパガンダともとれますし、個人個人で考え方も立場も異なるのでそうでない市民も大勢いるでしょう。どちが良いとか悪いではありまん。) では日本が戦場になった時どれだけの国民が必死(死を賭して)一兵卒として志願するでしょうか?

世界は混沌として居ます。日本をはじめとした西側諸国の掲げる「自由・人権民主主義・法の支配」といった一見普遍的価値として認められている価値観は本当に私たちにとって普遍的なのでしょうか?もしかしたらそれはアメリカ帝国主義維持のための価値観ではないのでしょうか。私たちは世界大戦後その価値観に飲み込まれたまま無反省に生きているのです。その一方で「主権を持った複数の国民国家の並立」と「各国の歴史や文化の独自性の相互尊重」といった西欧近代の思想は嫌が応なしに世界が巻き込まれているグローバル化によって衰退して居ます。その様な中で、他国と闘うということはどう言う事でしょうか。それは先にも述べたようにまさしく命を賭す覚悟を決めることです。私たち(首相、政治家、都道府県知事を含め)は自由や民主主義のために死ねるでしょうか。ウクライナの一兵卒のように・・・・・。

佐伯啓思氏は言います。 何かのきっかけで日本もいつ他国の侵攻を受けるかわからない。その時、己の矜持や尊厳が試される。そういう時代なのである。とすれば「9条を守れ」と言うより前に、「国を守る」という自体に直面する。その時、「国を守るとは何を守ることなのか」という問いを己に向けなければならない。       過日、映画PLAN75 を観ました。どのように死ぬかということは、すなわちどのように生きるかということです。もっと生きている今の日常に深く立ち入らなければならないと思いました。私たちにはまだまだ覚悟が足らないように思えます。