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2019/10/04[院長コラム]神無月の秋空に思う

こんにちは
 10月、神無月になりました。今年もあと3ヶ月わたし的にはカウントダウン(苦笑)です。
昼間はまだ30度に近い気温だったりしますが、ツクツク法師の鳴き声の足元で秋の虫たちの音が聞こえてきて涼やかな朝夕の今日この頃です。
 そして、空も高く澄み渡り秋の雲が流れるようになりました。
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 フェイスブックにも投稿したのですが、幼いころから雲の事を不思議に思っていました。形がないようで形があり、流れ湧き上がって来る雲。
大人になり「雲ってのは大気中に浮かぶ水滴や氷の粒のあつまり」である事は理屈ではわかっているのですが、何故あのような形になるのか?何故そこには雲があってこっちには無いのか?やはり不思議でなりません。
さらには雲には様々な名称の雲の種類があります。という事はそれぞれの雲によって特有の大気や大気の流れとと水分加減といったものがある訳でどのような加減がどのような雲作るのでしょうか。
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 私たちの目や肌では感じられないような秩序が、そこにはあるに違いありません。無い様に見えて(感じて)確かにある。とでも言えばいいのでしょうか。考えればこれはとても哲学的な問題の様に思います。確かに在るにも関わらず、私の六感では捉えることのできない現象。その様な現象が確かに在るのであれば、私たちは私たちの感得できるその世界を常に疑わなければなりません。見えない感じられない何かがそこには必ず在る。という事を。
さらに、近年はSNSなどの発達や普及によってともすれば自分の肌感覚の情報しか目や耳にしない風潮があります。膨大な情報の中であえて六感を研ぎ澄ましてあらゆる情報やデーターを体感する事はもはや容易なことではありません。
 しかし、六感を研ぎ澄ませて得た世界すらまだ足らないとなれば 世界を形作っている現象を過不足なく捉えようとする事は尋常ならざる覚悟とエネルギーが必要となって来るに違いありません。私たちに本当にそれができるでしょうか。
 チコちゃんではありませんが「ボ〜ッと生きてんじゃねいよ!」なのです。
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 さりとて人間の脳自体のキャパシティーがあるでしょうし、個人個人での嗜好などのバイアスもかかるなかどうすれば過たず世界を捉えることができるのか。おそらくそこには現代において徐々に軽んじられている体感覚(動き、触り、嗅ぎ、聞き、味見し、見、直感)に重きを置くことがキーになるという事は多くの人々が言及している事です。現代人が忘れ遠ざけているそれらをもう一度発動することが大切なのでは無いでしょうか。
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 全身全霊でぶつかり合い、愚直に前へ進んでいく ラグビーW杯を観てさらにその思いを強くする今日この頃です。