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2023/08/15[お知らせ]眼と脳 認識のメカニズムから
こんにちは
皆さんの夏休みはどうでしたか? 当院はお盆を挟み一週間ほどのお休みをいただきました。私と受付を担当する妻は急な思い立ちではありましたがマレーシアのボルネオ島コタキナバル と言う地でゆっくりさせていただきました。
さて話は変わりますが、私たちは日常生活の中で「見たはずなのに見えなかった」という経験をよくします。例えば探し物です。よ〜く探したのに探したはずの所から後で探し物が見つかったなどという事があるはずです。そんな経験を私は新たに最近つくづく体験しています。それは萎れた花の目を摘むと作業の中でした。当家のベランダには1m程の花の房になるというペチュニアという花をコンテナに植えて楽しんでいます。ただしこの1m程の見事な花房にするには毎朝萎れた花を摘むという作業が必要なのだそうです。やむく私は毎朝、触るとベトベトした成分で手が汚れるのを嫌々しながら蔓状に伸びた枝先の萎れた花をハサミで剪定しています。なるべく取り残しがないように葉を茎を掻き分けて摘んでいるつもりなのですが、あにはからんやこれがなかなか難しいことと気づきました。とったつもりのコンテナへ(コンテナが6つほどあるので端から取りかかり元に戻ると)戻ると必ず摘み残しがあるのです。「よ〜く見ていたはずなのに見えてなかった。」訳です。一方からの角度からでは見えているはずなのに認識はできていないと言う現象が確認できます。これはとても不思議な事です。私は大脳生理学者ではないのでそのメカニズムまでは分かりませんが、そう言った事象は先に書いた探し物やはたまた歯科臨床でもよくある事に気づきました。全てが見えているはずのある視点ではあるものの、実は見えていても認識できていないと言う事を経験します。例えば虫歯の見逃しや詰め物のきっちりとした三次元的な状態確認。改めて自分の臨床を省みております。
実際の視覚的な問題は別にして似たような事は「思考」にもよく見られよくよく注意しなければならない事だと感じます。見つめるという態度や指向性が危険極まりない可能性があります。見誤る可能性が大きいのです。
ただ、日常の中ではその様な見逃しがなければ掲載した写真のような意外性の美しさがもたらされる事はないでしょうけれども。