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2022/01/04[院長コラム]2022年 明けましておめでとうございます
明けましておめでとうございます。
2022年 令和4年も三ヶ日が過ぎ、街は少しずつコロナ禍ではあるもののそれなりの日常になりつつあるようです。当院は7日からの通常診療ですので、肩身の狭い思いながらもう少しゆっくりさせていただきます。
さて、そんな折りですので一月のブログを仕上げようと思います。2022年1月のブログは先月年末のブログの続きのような感じになります。当家では朝日新聞の朝刊を購読しています。先代の頃にご近所の仲良し家族が朝日新聞販売店をされていた関係で無自覚的にずっと朝日新聞なのです。若い頃は全く自覚しておりませんでしたが、皆さんもご存知のように朝日新聞は左翼傾向のメディアの代表です。内容を読んで決してその様には感じませんし寧ろ現政権に対して大政翼賛会的に雷同しているかに思うときも多いのですが、産経新聞や読売新聞と比較した事があるわけでないので、皆さんがおっしゃるならきっとどちらかと言うと左翼系なのかもしれません。 そんな左翼系の新聞の2022年1月1日と3日の記事にて、今回のブログの参考になる様な論説がおおくありました。今更ですが、私そして朝日新聞というバイアスのかかりまくったブログ(主張)ですのでそれが本当に正しいのかどうかを判断するのは読んでいる一人一人のみなさの良識にお任せするとして、今月の私の思い(主張)を聞いてください。
かねてより私は新自由主義を最たるものとしての現代の資本主義の限界や欺瞞に関して論じてきました。その背景には地球温暖化や貧富の格差そして社会の分断など様々な問題の根元が資本主義にあると思われるからです。資本主義は資本を源としてしており、この有限な地球上で今までより遠くへより速くフロンティアを求めて成長戦略を描いてきて成功したかの様に思われてきました。しかしながら、有限な地球上での資本の源であるフロンティアの枯渇とそれを支えてきたグローバルリズムのコロナ禍による崩壊がその限界を図らずも露呈し、多くの人が「本当に大切なもの」を自覚せざる得なくなったと言われています。
「本当に大切なもの」を自覚したと言うことは「それ以外のもの」を捨て去っても良いと言うことなのでしょうか。その自覚と方向はまだ分かりません。しかし、多くの人がもしそうだとしたら私たちは変われるかもしれない。環境危機時計を押し戻す事ができるかもしれません。その事が前回佐伯氏の言っていた「富と自由の無限の拡張を求め続けた近代人の果てしない欲望」のコントロールに繋がるでしょう。「グット・アンセツター(よき祖先)」の著者である文化思想家ローマン・クルツナリック氏の「歴史のなかで、もともと住んでいた人たちの世界を征服して植民地化してきた。いま私たちは未来世代の資源などを奪い、植民地化しているのです。」の言をまたずとも、先にも述べた様に資本主義が一見成功したかの様に振舞えていたのはフロンティアつまり他でもなく植民地が有る限りだったわけです。そして植民地が名目上無くなった後もいわゆる発展途上国の資源や労力を搾取し、さらには仮想空間での金融取引というフロンティアを作り出し潰し、今世界は社会の分断によって下層の人々を搾取し続けて辛うじて資本主義社会を取り作りっているのです。
一方で、コロナ禍で人々は今までいずれロボットやAIによって必要なくなると軽んじられていたエッセンシャルワカーなる職域の方々が感染症で動かなくなった人々の命や暮らしを支える現場としていかに重要かに気づきました。鈴木宣弘・東京大学院教授(農業経済学)は「誰が社会を支えているのか、コロナ禍で誰の目にも明らかになった。社会や消費のあり方を再考するべきではないか。」と述べ、著名な政治哲学者のマイケル・サンデル氏は「コロナ禍では、感染リスクを避けながら自宅でテレワークできた人がいるいっぽうで、そういう贅沢ができない労働者もいた。」と指摘し「自宅の玄関まで食料品を届けてくれた配達員のお陰で、私は混雑したスーパーに行く危険を冒さずに済んだ。リスクを引き受けてくれたことを、私たちは忘れてはいけません。」と述べ、先進国の消費社会を成り立たせていたのは、海外に広く展開したサプライチェーン。安い労働力を使って大量生産し、価格を抑える仕組み。国境を超えた資本や人の自由な動きが、経済の効率化を生み、経済成長による恩恵を誰もが受けられると考えられ、2008年のリーマン・ショック後もなをその「信仰」は残り行き過ぎた「能力主義」が「自己責任論」につながりそれが社会を分断し自分が属する共同体への配慮を失わせ、不平等を生み出したと言っています。そしてその解決策として大学などに偏った教育投資を他に振り向け「異なる背景を持つ人たちが互いの違いを知り、一つになってよりよいものを求める」ことを提言しています。 この話はヘイトにも関わるでしょう。
これだけの様々な解答や指針があるにも関わらず、実体のない空虚な「新資本主義」なるものを掲げる岸田首相をはじめとする為政者たちは、人口の増え続け成長のフロンティアが残っていた昭和の時代からの「財政も格差も経済成長が解決してくれる」という古い価値観にしがみつき「大量生産・大量消費で儲けを出すのモデルを変えらず、将来世代にツケをまわしいる。30年後に目指すべきなのは『成長』ではなく『成熟』ではないか。コロナがあぶり出した矛盾が、その視点に立つきっかけを与えてくれた。」と広井良典教授・未来研究センターは言っています。
問題はどれだけの人々がその視点を持ち生きて行く覚悟をしているかです。問題はそれほど楽観的ではないでしょう。だからこと私たちは声を上げ続けなければ行かないし、選挙等と通じて行動して行かねばならないのです。さらに消費者としての行動もまたしかりです。はたしてSDGSが金融システムにとって新たなフロンティアであったとしても「消費する側の努力」自体を企業活動が無視できない機会が増えている事実を見れば企業の感度はもちろん、消費者でありそこで働く私たちの意識もまた試されることになります。
私たちの意識は「デューデリジェンス」という聞きなれない言葉が近年よく言われることにも関わってきます。「デューデリジェンス」は(課題の特定と対処)と言う事だそうです。つまり企業はサプライチェーンや子・孫・ひ孫受け企業を含むあらゆる供給網全体に責任を持たねばならないという考え方です。これは前回年末の私の提起した産廃残土の問題や医療廃棄物の問題ともリンクします。企業は供給網の責任を語るならば従業員や下請け企業にも目を向けなけらばならず株主や経営者以外の利害つまりコストをより反映する枠組みが求められなければならないのです。
今までとは異なる取り組みとその副作用たる成長ではなく成熟と言われる社会の共有に対して私たちは待った無しに進まなければならないのです。